- 輔躒(ホレキ)【武官】
- 晋の臣。
B.C.549冬、楚が鄭を攻めたので、晋平公は輔躒と張骼に命じて楚軍にいどませ、
地の利に明るい御者を鄭に求め、射犬がその役となった。輔躒と張骼はとばりの中にいて射犬を外に座らせ、
自分たちが食事をすませてから射犬に食事をさせた。そして射犬を兵車を御して進ませ、自分たちは普通の車に乗って出かけた。
いよいよ楚軍に近づいて初めて射犬の兵車に乗り移ったが、ふたりとも足を投げ出して歌を歌い琴を弾いてゆとりのある態度を示した。しかし楚軍に接近した時、
射犬はふたりに知らせずに車を馳せた。ふたりは冑を袋から取り出してかぶり、敵陣に攻め入った。ふたりは兵車から降りて敵兵を手打ちにして投げつけ、
捕虜を寄せ集め小脇に抱えて戦ったが、射犬はふたりの乗車を待たずに車を走らせた。ふたりはかろうじて車に飛び乗り、弓を引いて楚兵に矢を放ち、楚軍から脱出した。
そのときもふたりは車上で足を投げ出して歌を歌い、琴を弾き「公孫(射犬)よ、同乗したのは兄弟のよしみともいうべきだ。どうして二度とも相談してくれなかったのか」
と言うと、射犬は「前は敵陣に突入することを考えただけ。今度は恐ろしかったのです」と答えたので、ふたりとも笑って「公孫の気ばやなことよ」と言った。
|