- 益(エキ)【皇帝】
- 夏王朝の2代王。伯益ともいう。
益は舜につかえ虞(山沢を司る官)となった。
益は禹のもとで7年間、宰相を務めた。
益は禹から禅譲により帝位を継ぐが、3年の禹の喪があけると(禹の子)啓に譲って箕山に隠棲した。
多くの文献では、禹は啓を後継者にしようとしたが、長じても任せきれる器量がないと判断したため、禹は益に位を譲ったという。
そこで啓は徒党を組んで益を攻めて天下を奪う武力革命を起したという。
- 易牙(エキガ)【文官】
- 斉の臣。姓は雍、名は巫。字は易牙。
易牙は長衛姫に寵愛されていたので、
寺人貂のはからいで料理を斉桓公にすすめ、桓公のお気に入りとなった。
おべっかの名人で、自分の子を殺して羹にして献上したという。
管仲は斉桓公に易牙を登用しないように諌めた。
B.C.643、10月8日、斉桓公が没した。易牙は宮中に入って、貂と力を合わせて、長衛姫のはからいで、
無詭を擁立することに反対する大夫を殺してこれを擁立した。
昭を擁立する宋襄公に攻められて、易牙は殺された。
- 易王(エキオウ)【王】
- 燕王(初代)。文公の子。~B.C.320。
B.C.333即位すると、斉に先公の喪中に乗じて討たれ、十ヶ城を失う。蘇秦が斉を説得したため、失地を回復することが出来た。
蘇秦は斉で罪に陥れられるのを恐れ、燕に帰ったが、燕でも元の官にはつけなかった。
蘇秦は「ある男が遠方に行った時、妻が他人とひそかに通じました。やがて夫が帰ると聞くと、妻は毒酒をもって夫を殺そうとしました。妾は酒に毒があることを告げれば、
妻が追い出され、告げなければ主人が殺されると考え、いつわってわざと倒れ、酒を投げ出しました。主人は大いに怒って妾を鞭打ちました。
この妾の行為で主人を保全し、妻をも保全しました。しかし妾は鞭打たれることは逃れられませんでした。
わたくしの過ちも不幸にしてこれに類するもののようであります」と言った。
易王は「先生よ、またもとの官につきたまえ」と言い、ますます優遇した。
蘇秦は易王の母と私通していた。易王はこれを知りながら、いよいよ厚く蘇秦を待遇した。
B.C.324蘇秦は誅殺されるのを恐れ、斉に赴き燕を尊重させようと言い、斉に亡命した。
B.C.323はじめて王と称す。
- 益師(エキシ)【公子】
- 魯の公子。字は衆父。~B.C.722。
B.C.722、10月、没す。
|